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「あの人は非常識だ」「常識がない」
など、少なからず他人に対してこういった感情を抱いた事、皆さんあるのではないでしょうか?
もちろん私もありますし、そう思われていた、又は現在思われているかもしれません。
私は現在、都内でweb関連、音楽関連の会社を10年経営しておりまして、ずっと黒字を出し納税を続けておりますので、ある意味「常識人」と言われているかもしれませんが、プライベートでは結婚・離婚を4回繰り返した、いわゆる「バツ4」ですので、とても常識のない人だと思われているかと思います。
私自身、ここ数年前まで自分の中に酷くこの「常識」というものを持っておりまして、そのおかげで随分と色々な事に苦しんできました。
ある時を堺に、そういった自分の中にある常識を剥がす作業を始めてからは、仕事も順調で、バツ4でありながら独身生活をし、今とても幸せに過ごしています。
今回はこの「常識」を剥がす作業をする事の必要性、フラット思考とは何か、という事を、自分の経験、体験などを踏まえて書かせて頂ければと思います。
常識とは何か?どこで植え付けられたのか?
まず、常識とは何かという事を考えてみたいと思います。
ウィキペディアで調べてみると、
常識(じょうしき)は、社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。社会通念ともいう。対義語は非常識(ひじょうしき)。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。
Wikipedia参照
ここでは、「社会を構成する上で当たり前のものとなっている」また、「客観的に見て当たり前と思われる行為」という言葉が印象的ですが、この「当たり前」というのがなんとも曖昧で、ちゃんとした定義などないのです。
客観的と言っても、それぞれの価値観が違う為、どの目線からなのかわかりません。
そして私なりに出した「常識」とは、自分が育った環境、教育の環境によって植え付けられたもの、またその環境によって芽生えたもの、だと思います。
ようするに、自分が生きてきた環境が作り出したものが「常識」だと思うのです。
私は、現在47歳ですが、幼少の頃から愛媛のかなり田舎で育ちました。
保育園は、木造のとても古い建物で、衛生的にも悪く、また、お昼に出される牛乳は本当にまずくてたまらない脱脂粉乳でした。
そしておそらく、子供のほとんどを過ごした小学校で様々な常識を植え付けられたと思っています。
真冬でも、制服の上に何か着たり、長ズボンをはく事は許されず、小学2年生の頃はスパルタ暴力暴言教師でしたので、学校についたら半袖、短パンの体操服、そして裸足にならなくてはならず、真冬でもその格好でグラウンドに出されていました。
宿題は夜中までかかるような膨大な量を毎日出され、毎朝竹刀を持っている先生に提出するのです。できていなければ竹刀でたたかれる。
忘れ物をしたら、往復2時間かけて自宅に取りに行かされる。
校舎や教室、トイレも古くて暗く、刑務所に入った事はないですが、おそらく毎日が刑務所より辛かったと思います。
こんな事を小学2年生の時に経験した私と、今の若者達が同じ価値観で生きている訳がなく、それぞれの常識が違う事は当たり前です。
私は、そんな厳しい小学生や中学時代を過ごしただけでなく、家庭では親がやっていた宗教の関係で、「こうでなければ駄目」という事を人一倍刷り込まれて生きてきたと思っています。
自分の中で生き続ける植え付けられた「常識」
こういった「こうでなければ駄目」といったような、子供の頃に植え付けられた常識は、大人になって、また社会人になったからといって消えるものではありません。
この常識は、鎧のように1枚1枚自分の体に張り付き、それが自分自身をどんどん作り上げ、仕事や人間関係、恋愛、結婚を通して世の中に披露していく事になるのです。
私自身、高校卒業後、すぐにとある大手飲料メーカーに就職しましたが、自分の常識の目で仕事を見たり、また、同僚、先輩、後輩、上司と付き合いました。
その頃の私の常識は、
●仕事が辛くても、休まず毎日真面目に働かなくては駄目だ
●仕事を辞めるごとに収入や自由がなくなるから辞めては駄目だ
●頑張っていれば、努力していればいつかは報われる
●大手など安定した仕事に就く事こそ、自分や家族が幸せになる
●先輩は偉い、後輩はなんでも言う事聞かねばだめだ
といったものでしょうか?
そして、こういった自分の中の常識は、皆の常識だと思っている為、そう思っていない人間を避難し、非常識だという声を浴びせ、常に自分が正しいと思いながら生きていたように思います。
そうやって自分の立ち位置を確立し、それが自分の幸せなんだと、これが自分なんだと信じ切って生きていましたね、
でも、その会社に入って約8年後、私は1枚の常識を剥ぎ取り、会社を辞め、上京してきました。
新たな常識が芽生える
私は、音楽を仕事にしたいと思い、8年務めた大手のサラリーマンを辞め、27歳でギター1本持って上京してきました。
それは、自分自身、常識破りの行動であり、周りからも「27歳で上京して夢叶えるとか無理でしょ」と言われていました。
でも、私は音楽活動を始め、曲を作り、都内のライブハウスなどで歌っていました。
その生活はとても刺激的で、毎日が凄く充実していました。
一見、ずっと持っていた自分の常識がなくなったように感じますが、いざ、音楽中心の生活がうまくいかなくなると、どんどんまた様々な常識に囚われるようになります。
東京は本当に人が多く、アルバイト一つするにしても、音楽活動をするにしても、田舎生活に比べると関わる人間から影響を受ける事もたくさんあります。
私はその当時付き合っていた彼女に、
「その歳でミュージシャン目指すとかまじダサい、男なら稼いでなんぼ」
と言われ、やっぱそうだよね、という感じで音楽から離れていきました。
周りの同年代は皆バリバリ働き、
「自分もそうでなければ行けない」
「やっぱりちゃんと働かなくては駄目だんだ」
少しずつそういった常識がまた芽生え、どんどん本当の自分から離れていく。
その後私は、仕事を辞めたり、好きな事をやったり、また真面目に働いたり、うつ病になったりと、自分は何者なのか、どこに向かっているのがわからなくなり、海の中に沈んでいくような、そんな30代を過ごしました。
常識を剥がす作業とフラット思考の生き方を始める
私は、38歳の時に今の会社を始めました。
その当時働いてた会社を辞め、全く未熟のまま起業したのです。
ホームページもまともに作れないのに、ホームページ制作の会社なんか無謀だと、周りからも言われましたが、もう私にはこの道しか残っておらず、そういった決心をしました。
そして、今までの人生、自分の中にあるたくさんの常識が、自分の人生をたくさん迷わせてきた事、かなり遠回りした事に気づきました。
これからは、そんな常識、周りの常識にとらわれず、物事を見る時もフラットな目で見る事を心がけていこう、少なからずそんな気持ちはありました。
ただ、急にそんな全ての常識を無くす事は不可能ですので、どうしても社員に対し、自分の常識や主観を押し付けてしまった事もたくさんあります。
ですので、自分の中で気づいた時に、1枚1枚、自分の体に張り付いた常識を剥がす作業を行ってきました。
特に、10年も会社を経営していると、「経営とはこうでなければ駄目だ」的な事を聞いたり、目にしたりする事たくさんあります。
でも、何事にも「こうでなれば駄目だ」なんて事はなく、私はなんでもありだと思っています。
常識とか、非常識という事は一切考えず、全てフラットな思考で生きる。
そうする事によって、ふと浮かんだアイデアや発想をすぐに形にする事ができますし、それがまた経験や実績になり、また新たに別の事にもチャレンジできる。
どんな業界でも、少なからず様々な常識があり、いわゆる非常識な行動をしていてもうまくいかないと言われる事が多いです。
例えば、寿司職人は、何年も包丁を持たず下積み時代を過ごしてこそ本物の寿司職人になれる、とか、昔は、芸人になるには師匠を見つけ、弟子入りし、そこで笑いを学ばなければいけない、とか、色々ありますよね。
でも、今は実際に寿司職人を育成する専門学校を2年で卒業し、人気の寿司職人になった人もいますし、芸人さんも今は師匠をもたずに大活躍しています。
私も、デザインの専門学校など出ていないですが、独学でも起業でき、たくさんの顧客に喜んで頂きました。
自分自身だけでなく、周りに対しても、そういった常識を剥がして付き合い、フラットな思考で生きる事によって、どんどん本来の自分が出てきて、物事がうまくいったり、成功、幸せに繋がっていくと思うのです。
「なんでもありなんだ」
これからの時代、この言葉が一つのキーワードになるような気がします。
何かにとらわれる事なく、自由な自分、自由な世界を生きる。
とりあえず今日、あなたの常識を1枚剥がしてみませんか?
管理人・ライター / TOMOYA
49歳男性。
web制作、webマーケティング、また音楽関連の会社を東京都内で経営。(2011年設立)
栃木放送「Leina✫color」パーソナリティ。
大手企業でのサラリーマンから、ミュージシャンを目指した極貧生活、20を超える業種のアルバイトや正社員を経て起業。私生活では4回の結婚を経験するなどジェットコースターのような人生を生きる。
stand.fm始めました
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