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挑戦。
人生何年、何十年も生きていると、この言葉に数多く遭遇するかと思います。
その大きさは大小様々ですが、何かに挑戦しようと考える時、どうしてもネガティブな感情が出てきてしまい、挑戦しない理由を考え、それをやめてしまった方も多いかと思います。
そして、「何故あの時挑戦しなかったのか」と後悔されている方もいるでしょう。
私自身ももちろんあります。
リスクを考え、天秤にかけ、やめてしまう。
でも、おそらく私はこの「挑戦」という事を人並み以上にしてきたという自負があり、失敗、成功関わらずかなりの挑戦をしてきたと思います。
現在私は47歳ですが、都内で10年会社経営を続けてきまして、全て黒字で決算させて頂いております。
こんな実績は対して珍しくないかと思うのですが、田舎育ちの無名な高校しか出ていない無能な私が、今会社を経営し続けているという事は奇跡に近く、生まれてきたままの能力だけだと到底叶わない事です。
でも、こんな私でもやってきた事は「挑戦」なのです。
確かに何かに挑戦する事はリスクもあり、とても簡単にできる事ではなかったりしますが、この挑戦の一つ一つが自分を成長させる事を知っているので、私はそういった生き方をしてきました。
失敗を恐れる気持ちもわかりますが、失敗からしか学べない事は本当に多いです。
本を何冊も読むよりも、起業家セミナーに何回も通うよりも、失敗をたくさんした方がはるかに勉強になります。
今回は、そんな私の経験から、挑戦の仕方、失敗した時考えるべき事、成功とは、こんな事を書かせて頂き、少しでもお役に立てればと思っております。
20代最大の挑戦
私は高校卒業後、すぐにとある飲料メーカーに就職しました。
さわやかなイメージを売っているメーカーと言えばわかるかもしれませんが、その当時、給料やボーナス、その他の手当もとても厚く、23歳の頃には年収600万円ほどあったかと思います。
営業職でしたのでもちろん仕事は大変で、肉体的、精神的にもボロボロになる事もありましたが、20歳や21歳でも、その会社の社員というだけで銀行はお金を貸してくれますし、同期でもそんな年齢で一軒家を購入した者もいました。
周りからは、そんな待遇を羨ましがられたりしていましたので、私も一生この会社で働くんだな、と思いながら毎日を過ごしていました。
しかし、私が26歳、入社して7年か8年ほど経った頃、ふと自分の将来像を思い浮かべるようになりました。
高卒で今の仕事を続けていた場合、5年後、10年後、20年後どうなるんだろうという答えは、全て社内を見渡せば明確で、見えてしまった人生がとてもつまらなく感じてしまったのです。
子供の頃、私は歌手になる夢がありましたが、田舎でそんな事口に出そうものなら、親にしかられ、周りに笑われるといった環境でしたので、ずっと胸にしまって生きていました。
ただ、高校の頃からバンドをやったり、社会人になっても趣味で曲を作ったり、歌ったりはしていました。
もし、このままこの会社にいれば、この夢が叶う事は一生ない、絶対後悔する、でも、せっかくこんな良い会社に入れたのに、辞めるのがとてももったいない。
この葛藤を何度も繰り返した結果、私は27歳で会社を辞め、ギター1本持って上京しました。
上場企業の正社員から一転、東京では大学生達に混ざって時給1,000円ほどのアルバイトをしながら、曲を作り、CDを制作し、都内のライブハウスなどで歌っていました。
その当時、27歳からの挑戦はとても遅いと言われ、同じようにミュージシャンを目指す仲間もみんな年下で、何度も挫けそうになりました。
そして、2年ほどそんな生活をした後、私はその夢を諦める事になったのです。
しかし私には、もう次の目指すべきものが見えていました。
確かに、挑戦した事はやめてしまったので、失敗と言えるかもしれませんが、上京してその2年色んな動きをした事から、様々な挫折や失敗、出会いや別れ、発見や成功などを経験し、次の挑戦に繋ぐ事ができたのです。
30代最大の挑戦
私は31歳でとある会社の代表取締役になりました。
自分で起業した訳ではないですが、アルバイトをしていた会社で社員になり、主任になり、何故かその後社長になってしまったのです。
そんな事信じられないかもしれませんが、アルバイトで入ってたった1年半で社長になってしまいました。
でも、今考えると、皆その会社のアルバイト上がりの社員や社長だったので、18歳から上場企業で9年近く正社員として仕事をし、その後も上京して様々な経験を繰り返してきたので、オーナーからは少し異質に見えたのかもしれません。
これも、20代の頃の「挑戦」の結果であり、26歳の頃に見えていた未来よりも遥かに刺激的なものでした。
しかし、その2年後、私の中に眠らせていた次なる挑戦が始まりました。
歌手になる事は諦めましたが、音楽に携わる仕事がしたいという気持ちはずっとありましたので、その機会をずっとうかがっていたのです。
ある時、私は知人の娘(当時12歳)が、その知人と一緒に歌うのを聞く機会がありました。
その曲は、その知人が娘に向けて作った曲で、それを娘があどけない歌声で歌っているのです。
私は、その歌詞、メロディ、歌声全てに感動し、涙を流してしまいました。
そしてこう誓ったのです。この曲を世の中に広めよう、と。
そしてそれを知人と娘に話し、何度も説得し、一緒に活動をしてくれる事になりました。
すぐさまオーナーに相談し、なんとかオーナーの承諾を得た後、社内に音楽事業を立ち上げ、私は曲のアレンジや編集に必要な機材を揃え、勉強し、その曲のアレンジを始めました。
その曲をアニメーション動画にしたかったので、その当時のスタッフにアニメーションを作ってもらい、この曲を広める!と誓った約3ヶ月後、CDとアニメーションコンテンツを作る事ができました。
私もスタッフもほぼ休みなし、残業まみれでしたが、その当時のスタッフは皆よくやってくれたと思います。
この話しは以下の別記事で詳しく書いていますので、興味ある方はこちらも読んでみて下さいね。
その後、アップしたとある動画サイトでバズる事に成功し、テレビの取材など受ける事も増えましたが、そこまで盛り上がる事にならず、会社の資金も底をつき、解散する事になりました。
そこからは、会社を離れ、お金がないまま私1人でその活動を続ける事になり、従兄弟や友達の家に居候する毎日が始まりました。
周りからは、「失敗だな」という目で見られていましたが、その1年後、活動をやめなかった、挑戦を続けていた甲斐があって、某全国放送の初回スペシャルに出演する事になり、そこから話題になり、その半年後には、小学校3年生の音楽の教科書に掲載されたのです。
私の夢が叶った瞬間でしたが、もうその時には私は借金しか残ってなく、30代後半で就職活動をする事になりました。
40代最大の挑戦
就職活動をし、なんとか保険会社での営業として働く事になりましたが、その会社の半年のノルマを達成する事ができず、クビになってしまいました。
もう、その頃の私はちょっとした抜け殻状態で、仕事意欲もなく、音楽の仕事なんてもってのほかでした。
保険会社退職後は、過去の社長時代の部下が始めた会社になんとか入れてもらい、立場は逆転したものの、営業を粛々を頑張っていました。
しかし、その会社も辞める事になり、私はホームページ制作会社として起業する決意をしました。
なんの技術も経験もない業種での起業。ある意味無謀な挑戦。
でも、それまでの人生で色々な挑戦をし、失敗を数え切れないほど繰り返してきたので、そんな私でも勉強しながらでも仕事をもらえるようになり、売上も上がり、会社として成り立っていったのです。
起業して2年、私が40歳になった年、会社に一本の電話がありました。
それはある映画製作のプロデューサーからでした。
「1時間半ほどの映画を制作しているんだが、CGを作れないか」と。
私はその当時、CGを作れる従兄弟と業務提携していましたので、「はい、作れます」と返事をし、打ち合わせに来て頂きました。
その仕事は請ける事になったのですが、その時、私の名刺の裏を見て、
「音楽活動されていたんですね、実績もあるし。曲って作れますか?」
私は、すぐに「はい」と返事をしました。
すると
「まだこの映画の主題歌が決まっていなくて、曲を作ってくれる人と歌手を探しています、監督が歌詞を書いているので、監督が曲を聴いて判断する事になるのですが、これもお願いできますか?」と。
私はすぐさま返事をし、また新たな私の挑戦が始まりました。
通常の私の仕事作業量もいっぱいいっぱいでしたが、睡眠時間を削り、曲を作り、歌ってくれる歌手をインターネットを駆使して探し、その話しを受けて2週間後には、仮レコーディングをし、プロデューサーに連絡しました。
監督は自分の作った曲を選んでくれるのか、不安な日々が2日続いた後、プロデューサーから採用の連絡がきました。
曲もアーティストも両方気に入ってくれて、その歌手は私の会社と専属契約を結び、次作の映画にも出演する事にもなりました。
映画の試写会で、自分が作った曲がエンディングで流れた時、涙を流したのを覚えています。
そしてその6年後、私は今の会社の音楽レーベルを立ち上げ、現在素晴らしいアーティストと一緒に仕事をしています。
全ては挑戦の積み重ね
この記事を書いているこの後すぐ、弊社の所属アーティストと、ラジオ収録の打ち合わせやライブの打ち合わせ等する事になっています。
弊社は主に、web制作やwebメディアの運営をしていますが、私が主体となって音楽レーベルを運営しています。
私が27歳の時、歌手になりたいと挑戦を決めた時からちょうど20年経ちました。
そしてその挑戦を皮切りに、数え切れないほどの挑戦をし、数え切れないほどの失敗をしてきました。
ただ、今私がこうやって好きな音楽を仕事にし、素晴らしいアーティストに出会えた事は、そういった挑戦や失敗の積み重ねだと思っています。
全てが繋がっていると実感しています。
その「挑戦」というものがいかに自分自身を成長させ、自信に繋がっているか、それをどうしてもわかって欲しいと思っているのです。
もちろんリスクはありますし、怖いのもわかります。
でも、どんな事があってもその挑戦した経験は絶対に無駄にがならない事、それがないと前に進めない事、それこそが唯一自分を成長させる事だと、感じてもらいたいのです。
今、世界はコロナウイルスの事で大変な状況です。
しかし、こんな今だからこそ、何かに挑戦する事ができると思っています。
そして47歳の私も、まだまだ挑戦する事がたくさんあります。
それはリスクを考えた恐怖ではなく、ワクワクである事は間違いありません。
管理人・ライター / TOMOYA
49歳男性。
web制作、webマーケティング、また音楽関連の会社を東京都内で経営。(2011年設立)
栃木放送「Leina✫color」パーソナリティ。
大手企業でのサラリーマンから、ミュージシャンを目指した極貧生活、20を超える業種のアルバイトや正社員を経て起業。私生活では4回の結婚を経験するなどジェットコースターのような人生を生きる。
stand.fm始めました
TOMOYAの生きテクradio