スポーツの事

野球選手になりたかった幼少時代|選べなかったからこその今の自分

野球

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大人になってから知り合った人には、私はスポーツをやらない、又はできない人間だと思われる事が多く、ちょっと悔しい思いをする事があります。

まあ、今の仕事柄もそうですが、特に今趣味としてスポーツをしている訳でもないので当然と言えば当然なのですが、これでも運動にしか興味がないと言われるほど運動が好きでした。

小学生の頃の自分を知っている人はわかってくれると思いますが、短距離も長距離も、また水泳も球技も全て得意とし、どの大会にも出場し表彰もされていました。

その中でも私は野球が好きで、と言っても小学生の時の野球部などなかったのですが、父親の影響で野球がとても好きな子供でした。

できれば、野球選手になりたいという秘めた思いもあったのですが、私はある事が理由でその全てを小学校卒業と共に諦めなければ駄目だったのです。

自由がなかった青春時代

青春

私の母親はとある宗教に入っていましたので、私は生まれた時から信仰を強制させられ、誕生日会、クリスマス集会、地元のお祭りなどは全て参加できず、土曜日、日曜日の宗教活動の為休みに友達と遊ぶ事もできませんでした。

そして、その宗教は運動部に入部する事がその当時禁止されていましたので、私の中で心置きなくスポーツを楽しめるのは小学生までだな、と思っていました。

そして、中学に入り、皆が色々な部活動を見学している中、私はそれを横目に帰宅していたのを覚えています。

ただ、どうしても何かの部活に入りたくて親をなんとか説得し、吹奏楽部に入部する事になりました。

ただ、月曜日と木曜日は宗教活動の為部活は休まなければならず、土曜、日曜もその理由で休まなければ駄目だったので、部活の先輩から嫌味を言われる事もあり、とても楽しい生活とは言えませんでした。

私はパーカッションを選択しましたが、唯一させてもらった楽器が大太鼓とティンパニでした。もちろん、コンクールにも出る事はできませんでした。

スポーツが得意だった私を知る同級生は、何故吹奏楽部なのだと疑問に思っていたと思います。

小学生の時、駅伝大会に参加し優勝、そして1区を走り1位を取った事を知る他の学校の子にも、「中学になったら良いライバルになれると思ってた」と言われた事を今でも鮮明に覚えています。

もちろん育ち盛りの中で運動部に入っている同級生と、吹奏楽部に入った私の体格や運動能力の差は広がるばかりで、自分の置かれた境遇を酷く恨みました。

帰り道、野球部が練習するグランドを見ながら帰り、家で弟とキャッチボールをしたのをよく覚えています。

ただ、2年生になった時、どうしても運動部に入りたくて親に再度頼み込みました。

そうすると、宗教に影響がないなら良いとの許可をもらいました。

ただ、週に4日も早退や休みを取らなければ駄目な為、厳しい野球部やバレーボール部に入る事はできず、比較的厳しくなかったバスケットボール部に入部しました。

皆より1年も後に入って、追いつけるはずもないので、レギュラーになどなれませんでしたが、それでも自分なりに一生懸命頑張り、最後まで続けました。

野球部に入れなかった思いはやはり強く、その当時野球漫画やアニメを良くみていたのを覚えてますし、高校野球やプロ野球も熱心に見ていました。

そして、弟とキャッチボール。

自分はあまり勉強ができる方ではなかったので、自分からスポーツを奪われた事に対して絶望に近いものがあったと思います。

そして、中学の体育授業にあった剣道、高校の時の柔道もやっては駄目だったので全て授業は見学し、成績ももちろん良くなかったです。

他の科目で頑張っても良くしてくれる事はありませんでした。

その宗教は、その当時大学や専門学校に行く事も禁止されていたので、私は高校で人生が終わりだなと思って生活していましたね。

でもこの話は、そんな悲しくて辛い話しをしようと書いている訳ではなく、それがあったからこそのその後の人生に繋がった事を書こうと思っています。

生まれて初めての自由を獲得

自由

私は高校卒業と共に、その宗教を離れました。

親は悲しみましたが、義務教育を受けて、親のスネをかじっている間は言う事を聞こうと思っていましたが、社会人になって自分で生きていく環境になればもう言う事は聞きません。

私は、某飲料メーカーに就職しました。

回りの同期は、楽しかった高校や大学から社会人になり、悲観的な人間が多かったですが、私は自由になれた事が嬉しくてたまりませんでしたね。

土曜日や日曜日も、自分の好きな事ができるし、禁止されていた恋愛だって楽しむ事ができる。夜だって好きなだけ遊べる、最高でした。

その辺りからですかね、自由というものに固執し、またそういった生き方をしたいと思い続けるようになったのは。

私は27歳までその会社で働き、その後ミュージシャンを目指し上京、挫折はしましたが音楽プロデューサーとしてアーティストをメジャーデビューさせたり、起業したりと自由に忙しく楽しく、またどん底に落ちたりと慌ただしい日々を送ってきましたし、今もその延長線上です。

今、弊社で音楽レーベルをやったり、また楽曲を作ったりできるのは、中学の時の吹奏楽部の影響が少しあると思います。

音楽に対して凄く不完全燃焼だったのと、パーカッションを通して身体の中に様々なリズムが刻まれるようになったからです。

そして、野球選手になりたかった夢、もちろんこれから叶う事などありえないですが、その悔しさは今でも残っているので、違った形で自分の夢はもっと追い求めていきたいと思っていますし、自分のメンタルでは野球選手になれなかっただろうな、とも思います。

人生まだ5回表くらい?

人生

皆それぞれ色々な人生があります。
人に言えない過去や悩みだってあります。

でも、決して変えられない過去の事をいつまでも思い続けるのではなく、その過去があったからこそ今生きていられるのだと思うべきだと思っています。

たまに私も思う事があります。

母親が宗教をしていなかったら、自分はどんな人生を歩んでいたんだろうと。

でも、おそらく今の方が幸せだと思います。

野球選手にはなれませんでしたが、一生をかけて白球を追いかけます。

TOMOYA

管理人・ライター / TOMOYA
47歳男性。
web制作、webマーケティング、また音楽関連の会社を都内で9年経営。大手企業でのサラリーマンから、ミュージシャンを目指した極貧生活、20を超える業種のアルバイトや正社員を経て起業。私生活では4回の結婚を経験するなどジェットコースターのような人生を生きる。