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今から15年ほど前、「でんしれんぢ」というバンドが歌う「ゆうきのうた」を弊社からリリースし、その後エイベックスエンターテイメントからの再リリース、小学校3年生の音楽の教科書に掲載されました。
音楽の教科書に曲が掲載されるというのは、教科書出版社にどれだけお願いしても掲載してくれる訳もなく、どういった経緯で、そしてどういった基準で掲載してくれるのか、未だに私はわかりません。
でも、この曲を手掛けた時から、「絶対に音楽の教科書に載せる!」という意気込みは持っていました。
でも、それはただの意気込みだけではなく、私なりの作戦を立てていました。
15年前に動画のバズりを狙う
まず、当時の私の会社は小さな会社でしたので予算もなく、「お金をかけて」という宣伝を諦めていました。
ただ、皆が感動してくれるような動画を作り、それが広まってくれれば何かのきっかけになるのではないかと思い、弊社内で手作りのアニメーションPVを作成する事にしました。
その当時は「Flash」というAdobeのソフトが主流で、4分30秒のアニメーションを全てFlashで作る事にしました。
でも、そのFlashを使ってのアニメーション制作は非常に無謀と言われており、とてもスタッフ1人で作れるものではなかったのですが、その当時の制作スタッフは悪戦苦闘しながらでも最後まで頑張ってくれました。
曲のアレンジをしてレコーディングが終わり、ようやくCDと動画も完成。曲のアレンジとアニメーション制作だけで3ヶ月はかかったと思います。
その当時は日本でまだYouTubeはメジャーではなく、他に様々な動画サイトが出回っており、その中に「pya!」というオリジナルFlashをアップできるサイトがありましたので、そのサイトにアップする事にしました。
「pya!」は、動画に投票する事ができ、週間、月間のランキングもサイト内で発表されます。
この「ゆうきのうた」はアップしてすぐにこの週間ランキング1位を獲得したのです。
思惑通り、サイト内でのバズりに成功しました。
15年前、既にこのバズりを狙い、成功したのです。
バズりからのテレビ出演オファー
「pya!」でランキング1位を獲得して間もなく、NHKから問い合わせがありました。
その当時放送されていた番組で、この曲とバンドを取り上げさせてくれないかというものでした。
もちろん承諾し、それから会社やアーティスト本人の撮影等が終わり、無事全国放送される事に。
NHKの全国放送で取り上げて頂いた事もあり、地元の地方局でも取り上げて頂く事も増え、また、ラジオでも選曲して頂く事も増え、順調な滑り出しになりました。
ただ、別にそれがCDの売上や配信のダウンロードに大きく反映されたかというとそんな事はなく、音楽を事業にする事は本当に大変なんだなとつくづく思いましたね。
そして、どこも取り上げてくれなくなっていき、このまま終わっていくのかという不安が押し寄せてきました。
メジャーリリースへの決断
それから数が月経ったある日、エイベックスエンターテイメントの担当の方から一通のメールがありました。
それは、「ゆうきのうた」をエイベックスからメジャーリリースしないか、との事。
正直色々迷いましたが、弊社でできる事の限界を感じ、エイベックスエンターテイメントと契約する事になりました。
もちろん契約内容までは書けませんが、その当時の弊社のような弱小企業が好条件で契約できる訳もなく、でも、それを機に「ゆうきのうた」がもっと世に出てくれたらとの思いが強かったように思います。
そしてエイベックスエンターテイメントからメジャーリリースへ。
ただ、メジャーリリース後も、そこまで大きな動きがあった訳ではなく、その当時の会社の体力も限界の為、会社は解散し、私一人で「ゆうきのうた」を広める活動をする事になりました。
それから私は1人でアーティストが滞在する愛媛へ行き、知り合いの家に居候しながらその活動を続けました。
収入などはほとんどなく、わずかな貯金を切り崩しながら、またその知人に甘えながら活動をしていました。
私の中で、この「ゆうきのうた」を音楽の教科書に載せるという目標は変わっておらず、ある作戦に出る事にしました。
それは、そのアーティストが滞在する街でもっと浸透させ、それを全国に発信しようという事です。
実は具体的な作戦を決めており、こういった事からはじめました。
とにかく小学校を訪問する
私がとった作戦はアーティストが滞在する街の小学校を全部訪問し、学校やクラスで「ゆうきのうた」を歌ってもらえないかというお願い、提案をしました。
その街には全部で26の小学校があり、遠い所だと船で2時間ほどかけて行かなければ駄目な小学校もあった為、決して安易な事ではありませんでしたが、ほとんどの小学校で校長先生と話す事ができました。
そして、それから1ヶ月ほどすると、色々な小学校で「ゆうきのうた」が歌われているとの声を聞くようになり、またそれが噂を呼び、隣町の小学校や、東京の小学校でも歌われているとの情報が入り始めたのです。
私は、歌ってもらっている学校に問い合わせ、歌っている動画を撮影させてくれないかという相談をしました。
多くの小学校での許可がおり、全校生徒が歌っている映像、クラス単位で歌っている映像を撮影させて頂く事ができました。
その中に、東京の小学校でも撮影させて頂いたのは大きかったですね。
私はできるだけその映像を撮りためて、大事に保管していました。
それが終わると、また色々なメディア関係者にアプローチし、地方ではございますが、テレビ、新聞、雑誌等の取材も少しずつ増えていきました。
そんなさなか、日本テレビのスタッフから私の携帯に電話がありました。
最後の大きなチャンス
電話の内容とは、「誰も知らない泣ける歌」という番組が始まるのだが、その初回スペシャルに出演してくれないかとの事でした。
そのスタッフの方は、「ゆうきのうた」の動画をYouTubeで見て感動して頂いたとの事で連絡を頂きました。
その番組のコンセプトや、ゴールデンタイムでの全国放送という事を考えると、「こんな番組に本当に出演なんてできるのか」と疑ってしまうほど信じられなく、そして、凄く凄く嬉しかったのを覚えています。
そして、アーティストの地元の撮影が終わり、その後日本テレビのスタジオで歌わせて頂きました。
司会の西田敏行さんや、オセロの松島さん、レスリングの浜口京子さんなどが涙を流された時は、私も涙を流してしまいましたね。
その2ヶ月後、待ちに待った放送日がやってきました。
初回の3時間スペシャルの3番目という最高の時間帯に紹介され、アーティストや「ゆうきのうた」の良さを存分に届けて頂きました。
すると、私のメールアドレス宛に多くのメールが届くようになり、放送から1時間の間でなんと500通のメールが来たんです。
その内容のほとんどが、全国の幼稚園や小学校からで、「ゆうきのうたの楽譜がありますか?」との事でした。
簡単な楽譜は持っていましたが、全部に対応するのは厳しく頭を抱えましたね。とても嬉しい事でしたけど。
そして翌日、つにその日はやってきました。
とんでもないところから、私に一通のメールが来たのです。
作戦の成功が夢を叶える
その差出人は、とある教科書出版社の編集長でした。
その日の放送を見て頂いたらしく、「これは教科書に載せなければいけない」と思って頂いたらしいのです。
私の作戦は見事に成功しました。
実は、その「誰も知らない泣ける歌」の出演依頼があった際、私はスタッフの方に、小学校で「ゆうきのうた」を歌って頂いている撮りためた映像を渡し、是非使って下さいとお願いしたのです。
そして、様々な小学校で「ゆうきのうた」が歌われている映像が、全校放送で流れました。
全国の幼稚園や小学校から問い合わせがあったのは、子供達が歌っている映像を見て、「うちの学校でも是非歌わせたい」という流れでした。
そして、実際に教科書出版社にもそういった問い合わせがあったそうです。
その後、教科書出版社との打ち合わせを重ね、翌年の小学3年生の音楽の教科書に無事掲載されました。
「全国の小学校の音楽の授業で歌われる」
本当に感動しましたね。
でも、それは偶然の出来事ではなく、私はいつかこういった番組に出演できた際の為に、小学校を回り、「歌って欲しい」とお願いをして、動画を撮りためてきました。
絶対に無理だと思っていた事でしたが、その「絶対無理」がどうすれば可能になるのかを考え、地道な活動をしてきた成果だと思っています。
新たな目標
結局、その「ゆうきのうた」は、たくさんダウンロードされ、たくさんCDも売れましたが、私達に入ってきたお金は微々たるものでした。
※その当時のニュース記事
https://www.barks.jp/news/?id=1000043983
でも、それよりも、全国の人に知って頂いた事、全国の幼稚園や小学校で歌って頂いた事は本当に良かったと思っています。
この「ゆうきのうた」を手掛け始め、アーティストが解散するまでの3年間、本当に色々な事がありましたが、私は今でものこの経験は自分自身の大きな「自信」となっています。
何かを始め、目標を持ち、達成させるまでの「プロセス」と「結果」。
「成し遂げられた」という自信は、今の会社経営でもかなり役立っています。
必ずできると信じられるからです。
そして、今また別の目標を掲げて日々コツコツを続けていますが、どこかで必ず作戦を実行し、成功させる事、楽しみでなりません。
管理人・ライター / TOMOYA
49歳男性。
web制作、webマーケティング、また音楽関連の会社を東京都内で経営。(2011年設立)
栃木放送「Leina✫color」パーソナリティ。
大手企業でのサラリーマンから、ミュージシャンを目指した極貧生活、20を超える業種のアルバイトや正社員を経て起業。私生活では4回の結婚を経験するなどジェットコースターのような人生を生きる。
stand.fm始めました
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